ひとりごちる 2002年12月(下旬)

[日記目次] [今月分(全体)] [今月分(上旬)] [今月分(中旬)] [今月分(下旬)]

12月31日(火曜日)

起床は10:30。まだ疲れが拔けてゐない。

日中

同人誌を讀みつつ洗濯と掃除。

夕方

家賃を拂ひ忘れてゐたので銀行へ。殘高不足で拂へず。給與口座から現金をおろすが、なんと今日は現金の預け入れができない。弱つたが、考へ直してコンビニのATM端末へ。こちらは現金の預け入れが可能だつたので、なんとか支拂ひを濟ます。

ついでに散髮をしてから歸宅。

買ひ物リスト

ここ二週間分。はじめは漫畫。

まだ全部讀んでゐません。「ニライカナイ」はあと少し密に描いて欲しかつたなあ。「ぱにぽに」は初囘限定版が入手できなかつたので通常版を買つたのだが、澁谷で買へたので結局重複してしまふことに。まあ良いんですけど。「ツーリング・エクスプレス」はこれにて完結。

次は雜誌。

まだ讀んでゐません。ワイヤレスネツトワークは仕事でやつてゐるので休み中に讀んでおかないと。

次はコミケの査收ブツ。

まだ全部確認できてゐないので感想は書けませんが、adieu.をやつてゐて「さよならを教えて 設定資料&原画集」を買へなかつた皆さんには、お見舞ひを申し上げます。

今年の總括

前年に續き、意識不明で明けた2002年。

冬季オリンピツクは周りには不評だつた氣がするが、BS-dで見られたおかげで私は樂しめた。男子フィギユアが實に素晴らしかつた。

「私の國語教室」を讀んでから日記の表記を全面變更。未だに表記でブツブツ云はれるのまだ慣れない。したがつて何かあるたびに論爭になつてしまふ。來年は減らせると良いのだが。

元長柾木氏の同人誌を買ふために大阪日歸りもやつた。さういふ無茶ができる身體ではないことが判つたので、次からは泊りにしよう。

サークル活動は今までCD-Rを出してゐたのだが、今年から同人誌になつた。こちらの方が面白いね。

あと、PCが不調になつたのでPanasonic CF-R1に買ひ變へた。小さくてかなり氣に入つた。しばらくしてCF-R1Nが出てしまひ、それがCF-R1にあつた瑣細な缺點を解消するものであつたので、またも買ひ變へを敢行。古い方を會社で賣る豫定だつたが、宴會の際にR1Nを踏みつけて壞してしまふ事態に陷り、結局R1とR1Nの二つとも所有することになつて今に至る。來年こそは賣らう。

あとは個別に。

TVアニメを何本か見たのだが、カレカノ以來なので實に三年ぶり。チェツクしてゐた「あずまんが大王」も「ぷちぷりユーシィ」も面白かつたので良し。シスプリはもつと四葉分を増やしてください。

ゲームは腐り姫とEver17以外は記憶にすら殘つてゐない。どちらも面白かつたが、リプレイしてゐたSenseOffと去年發賣されたソフトであるさよならを教えてcomment te dire adieuをどちらも越えてゐないと思ふ。

仕事は、立場が重くなつた關係であれこれと氣を囘す必要が増えて大變だつた。おまけに抱へれば抱へるほど仕事をこなすのが嚴しくなつてしまう状態が多々あつた。もう少し時間と人的資源の使ひ方を改める必要があるな。

といつた案配で今年も終り。JAGARLさんとしゅがいさんから宿題がて出てゐますが、それは來年に入つてから返答します。殘したのはそれくらゐかな?

それでは良いお年を。


12月30日(月曜日)

起床は5:30。そのまま着替へて有明へ。

CM63

といふわけで、年末も有明で賣り子になつてゐました。強行軍で同人誌作つてゐたため、一日目の竹本同人誌もEvaカヲ×シン本も諦めることになりましたが。まあ出さないよりは良いだらうからこれくらゐは犧牲があつても仕方ないでせう。今囘は既刊を20部追加で刷つてゐたのですが、割と早く賣り切れてしまつたのが誤算。新規客がゐることをすつかり忘れてゐたのですね。次囘はもつと刷らないと。新刊は始めと終りは低調でしたが、あとはコンスタントに出たと思ひます。買つて頂いた皆さんには感謝感謝です。

賣り子をしてゐて樂しかつたのが、やはりお客の反應ですね。今囘の新刊は表紙が良かつたやうで、POPを見て足を止める人が多かつた。が、中身を見ると買はずに歸る人が大半でありました。最初は「内容が惡いから氣に入つてもらへなかつたのかしら」と思つてゐましたが、あまりに何人も同じパターンで歸つていくので賣り子の竹田さんと二人して「一體、何を求めてゐたんだらうねえ」と勝手に盛り上つてゐました。これは次囘以降の課題とせねばならないでせう。

會場は大變に寒く、賣り子の竹田さんは體調を崩されて早退といふ事態になる。心配ではあつたが歸宅できない程でもなささうなので、單身歸つてもらふ。大丈夫かしら。その後も賣り子のあかりちやんと終了時間までブースで待機。

そして、今年のコミケも終るのでした。

NEWS-10

あかりちやん、にゃんさん、太田さんというメンバーで新宿へ。有明から座つて新宿まで行ける上に時間もかなり短縮されるりんかい線が素晴しい。が、移動中に寢る時間まで短縮されてしまふのがちと。歸りは船が良いなあ。

地下のルノアールで時間を潰してから會場入り。早めに着いた參加者と名刺交換をしつつ開始時間を待つ。18:30宴會開始。何故か乾杯の音頭をすることになつてしまふ。疲れてゐたから特にネタを思ひつけず。適當に胡麻化す。

會食の後に自己紹介。また特にネタを考へてゐなかつたので「皆さん、PCを踏まないやうに注意しませう」と云つて胡麻化す。それから、えろげやめますはネタではなく本氣だつたりします。まあ元長さんのゲームが出たらあつさり撤囘するとは思ひますが。

その後は恆例の名刺交換大會。例によつて麥酒を呑みつつ。時間までだらだらと。

そんなこんなで閉會の時間。最後はげんじさんの一本締め。お疲れさまでした。

宴の後

二次會まで體力が殘つてゐないと判斷。そのまま歸宅。その後はばたんきゅ〜。


12月29日(日曜日)

起床は5:00。やつと原稿を書き終り。

告知

全日本俺様振興会では冬コミで新刊を頒布いたします。場所は西地區り-33aになります。表紙はこんな感じ。内容は例によつてSenseOffキヤラを使つたBSDの入門本。ただし、今囘のBSD度は少な目です。あ、表紙が椎子ちやんだからと云つても中身は美凪ちやんなので、惡しからず。夏の既刊も刷り直して持つていきますので、前囘に買ひ損ねてしまつた方もどうぞ。

午後

ひたすら印刷と製本。この作業がなんだか樂しい。

夕方

プリンタのインクを補充するついでにいつもの壽司屋で今年最後の壽司を食べる。

ひたすら印刷と製本。


12月28日(土曜日)

起床は7:30。原稿書き開始。

日中

原稿書き、一向に進まず。

夕方

賣り子を依頼した竹田さんにチケツトを渡すため澁谷へ。歸りに印刷用の紙を仕入れる。

漸く形になつてきた。


12月27日(金曜日)

昨晩のこと

疲れたので酒を呑んで寢る。

起床は7:30。自社だから安心して、寢過ぎたな。

午前

テストをこなす。といつても、大した規模ではないけど。

想像通り

いや、豫想ではもう少し書くかと思つてゐたのですが。

で、意圖的に相手の言葉を惡く解釋するなんて面倒臭い詭辯なんて、この忙しい時期に使ふわけがないです。長々と書いたのは、塩崎さんの云ふ「曲解」が妥當な讀み方から導き出したことを示したかつたからです。頭は冷えてゐます。でないと文章の分析なんてできません。まあ、その邊りは判つてゐると思ひますが。

「ナショナリズム」の件もさうですが、確かに塩崎さんは決め付けを行なつてゐません。が、さう解釋されても仕方のない書き方をしてゐます。「大きな圧力が必要だった」の傍證として「ナショナリズム」を擧げるのが妥當なのかどうか。塩崎さんにとつては例の一つかも知れませんが、前提知識のない人だと「言語を大きく變へるにはナシヨナリズムの臺頭による壓力が必要なんだ」と讀まれても不思議はありません。また、前提知識のある人だと「何故、戰後混亂期には觸れずにわざわざ明治時代の例を擧げるのだらう」と疑問に思つてもをかしくありません。その疑問が後半の「信者」や「偉さうなアドバイス」を經ると、「ああ、要するに關聯つけたがつてゐるんだな」と解釋に至るのはほとんど必然です。さういふ意味では、あの文章は非常に甘えがあります。

つまるところ、塩崎さんの意圖を曲解してゐる側の問題ではなくて、意圖を正しく傳へきれない文章の問題です。しかも、曲解と塩崎さんが斷定した讀み方は、あの文章の妥當な讀み方の一つです。

極論を書くと、塩崎さんの意圖は塩崎さんの言葉・文章でしか傳はりません。察しろと云はれても、無理です。ましてネツト上においてをや。

解釋に幅のある文章を書いておいて意圖通りに傳はらないと嘆くよりも、やることはまだあるのではないですか?後になつてから「信者にあなたは含まれない」や「第一段落とそれ以降は別物」と指摘しなくてはならないといふのは、配慮がなかつた、これが元で誤讀されても仕方がなかつた、といふことではないですか?

と書いてゐたら晝休みが終つてしまふ。飯を食ひ損ねた。

午後

最後の仕事が完了。少し殘つてしまふがこれは年明けにでも調査しよう。15:00過ぎから會社の掃除。17:00頃から客先に出てゐる社員が三々五々と集まつてくる。

納會

18:00から納會。社長がゐないので私の挨拶でスタートする。しかしウチの會社の酒の消費は激しいなあ。まさか納會で泡盛の瓶熟成古酒が出るとは思はなかつた。おかげでかなり醉つ拂ひ、歸宅後はそのまま沈没。


12月26日(木曜日)

昨晩のこと

酒を呑んでも原稿が書けないありさま。多少は書いたが豫定枚数に達せず。放擲して就寢。

起床は7:20。客先直行だつたら遲刻だな。幸い、今日は自社經由なのだつた。

曲解

ふーん

第一段落。推測の提示。ここでは「なんで一部の旧仮名信仰の人間は文法の話を持ち込みたがるのか」といふしゅがいさんの問ひに對してある推測の提示をしてゐます。しゅがいさんは「旧仮名信仰の人間」と、正字正假名を遣ふ者に對して否定的な文面です。この正字正假名を遣ふことを信仰だの信者だのと呼ぶこと自體がどうかしてゐると思ひますが、しゅがいさんの問題ですし、關係がないので飛ばします。提示された推測自體にはそれほど異論はありません。

第二段落。推測を抛り投げての現状確認。「その理屈の正当性に関して私のような門外漢がうんぬんするのはおこがましいので専門家に任せるとして」として判斷を避け、以下の點を指摘してゐます。

まあこれも大して異論はありません。「なんで一部の旧仮名信仰の人間は文法の話を持ち込みたがるのか」といふお題から外れて來たので怪しい雲行になつたとは思ひますが。ただ、ここでの判斷保留は後に效いてきます。

第三段落。更に現状確認としての現在かなづかい肯定。「言語の変遷というのを考えたときに、ある種の人為的圧力がない場合には、基本的に平易な方向に進むのが自然」といふことが根據なしに提示されて面喰ひます。この邊りから事實に混つて事實らしい嘘、または塩崎さんの誤解が入つてきます。「程度問題として旧かなよりは現代口語の音と各文字が一対一対応に 近いのは事実」は現代かなづかいがそのやうに作られてゐるのだから正しいのですが、それをもつてして「多くの人にとってはこの点で旧かなよりも平易な表記だ」とは云へません。ただ、現在の日本人がそのやうに教育されてゐるので平易に思へるだけです。それが事實ならば、戰前の教育を受けた世代が現代かなづかいに慣れるのに苦勞はなかつたはずです。「多くの人にとっては今のかな表記でほとんどの場合に困らない」といふのは異論はありません。

第四段落。かなづかいを改めるのが困難なこと。そしてその困難を実現する條件。塩崎さんが正字正假名を否定すべくこの文章を綴つてゐると判斷したのはこの段落です。確かに一度廣まつた表記を變へるのは難しいでせう。しかし、はつきり云ふとそれは國の言語政策に依る話でしかありません。もし來年から國が正字正假名を採用して五十年ばかり繼續すれば、まづ間違ひなく社會全體の表記は遡行します。そしてそれは「ナショナリズム」とは關聯がありません。

ここで「その手の変化が、言語全体かつ社会的な規模で起こるとき」といふのを「今までの歴史だと、ナショナリズムの台頭とか、そういう動乱の時しかなかった」と斷言してゐます。が、これもやはり根據がありません。表記が變つたのは日本では明治時代初頭と敗戰直後の二つ。なるほど前者は見ようと思へば「ナショナリズムの台頭」とみなせないこともありませんが、では後者は?あれはナシヨナリズムが臺頭したから變化したのでせうか?違ひますよね。大體、江戸時代でも歴史的假名遣ひを使つてゐましたが、どの邊りにナシヨナリストが存在してゐたのでせう。關聯のない事柄を關聯のあるやうにしてみせるのは、それはそれと同一視したいが爲でせう。要するに、塩崎さんは「正字正假名」と「ナショナリズム」を同一視したがつてゐるのです。そして「ナショナリズム」が現代社會で忌諱されるのと同じく、「正字正假名」も忌諱されるものだ、と考へてゐるとしか思へません。意識的か無意識的かは知りませんが。

第五段落。「一部の信者」。これが塩崎さんのスタンスの全てでせう。「正字正假名を遣ふ人間」が「(宗教か何かの)信者」と看倣してゐる段階で、對話するつもりがあるやうには思へません。私や「正字正かなを普通に使ってる人」のことを一部の信者に当たるとは思ってませんと辯明しても、「一部」から外れてゐるだけで、私や「正字正かなを普通に使ってる人」が「信者」だとは思つてゐるんですよね。「屁理屈」とかその手の評価は、他人の意見に対して貼る「レッテル」としては「信者」並に便利過ぎる言葉なので注意して使ってもらいたいところと云ひながら、「正字正假名遣ひ=信者」とレツテルを貼つてゐるのはどういふことなんでせうね。ましてや、勝手に「ナショナリズム」と結びつけられてゐるのですから、どこぞの危險思想團體か何かの信者、といふことなのでせう。「言語というのは(本人は意識してなくても) 人間のアイデンティティと密接に関連しているもの」と指摘してゐますが、信者呼ばはりされてゐる側にもアイデンティティがあることを忘れてゐませんか?

ここまで書かれて氣を惡くしないとでもお思ひで?

だから、最後の「少なくとも、他人を見下してるという雰囲気がその文章にありありとあらわれてるうちは、他人を言葉で打ち負かすことはできて も他人を説得することはできないでしょう。」なる文章が、傲慢不遜に讀めるのです。レツテル貼つて見下してしる人間の言葉で、誰が「説得」されるといふのですか。これを「無邪気」の一言で許せるほど、私の心は廣くありません。その言葉はそのままお返しします。

第六段落。戰後改革の話と、保留してゐた判斷の決定。ここで「そこにあるのは結局ある種のパワーバランスだけで、言語学的正当性とかの理屈は(全く無関係とは言わないまでも) あまり関係ないんじゃないかと思います」と書いてゐます。正字正假名遣ひの神經を逆撫でするやうなレツテル貼りの後、やつと出てきた「なんで一部の旧仮名信仰の人間は文法の話を持ち込みたがるのか」に對する答へがこれです。要するに、言語に關することは理屈よりも現代の趨勢が重要である。といふことでせう。「それが正しいかどうかは別として、世の中の流れというのはそういうものです」と付け加えてゐますが、長いものには卷かれろ、といふことですね。そして、理屈をこねても數があるから押し潰せるさ、と。それが結論?随分と亂暴な意見だとは思ひます。

でも大多數に受け入れられないからと云つて、論理を盡くして意見を述べることまで否定する氣はないですよね。正直この段落までの流れだと、正論であつても多數派が否と云へば聞く耳は持たぬ、少數派は默つてゐろ、といふ意味にしか取れませんが。

最終段落。こちらは正字正假名の正統性は主張しますが、こちらから正字正假名を遣へと「他人に干渉」することはないのです。現状は正字正假名遣ひであるだけで根據のない屁理屈を押し付けられてゐるばかりです。そして根據がないことを客觀的に判斷できるやうに論理的に話をしてゐるだけです。そんなものは無駄で「バカになって」だの「現代かなで説明」だのいふのが戰略的なのですか。こちらは多數派だから論理なんて不問にできると政治をちらつかせる人間のアドバイスが、しかも效果がなささうなアドバイスが受け入れられるとお思ひですか?これが屁理屈でなくて何ですか。

以上が塩崎さんの云ふ「曲解」の中身ですが、正直どこが曲解なのか判りません。呑み友達である塩崎さんに、なんでこんな屁理屈を云はれなければならないのかが判りません。悲しいを通り越して悔しいです。

午前

自社にて作業。

客先へ移動。

午後

客先にて作業。

自社にて作業のつもりだつたけど、氣力盡きて斷念。

夜中

原稿が進まない。


12月25日(水曜日)

昨晩のこと

大して進捗がなかつた。泡盛を呑んでから寢る。

起床は6:50。今日は準備もそれほど時間がかからなかるたので、早めに出て自社に寄る。作業を依頼した同僚と輕い打ち合はせしてから客先へ。

午前

結合試驗。なんとか動いてきたな。少し安心した。

某社社食にて。また味の付いてゐる牛蒡サラダに醤油をかけてしまつた。濃すぎだ。

沖繩縣知事選擧

先輩のメールから沖繩縣知事選擧。相變らずだなあ。

午後

動作確認完了。あと少しだな。

夕方

資料を作成して提出。殘つた作業は輕微だし、健やかに年が越せさうだ。

感情的非難に對する對處方法

感情的な屁理屈で難癖つけられたら、論理的に對處するしかなからう。

こういふ屁理屈に對處せざるを得ないから、なるべく論理的に説明しようとするのは當然でせう。塩崎さんも含め、正字正假名の對する否定的な意見は感情論にもつともらしい屁理屈を付けたものに過ぎません。第三者的に裝いながらやんわり正字正假名遣ひを非難してゐる分、塩崎さんの文章は惡質です。正字正假名に反感を抱いてゐるからこそ、意識的か無意識的かは知りませんが、「信者」などといふ物言ひをするのでせう。

大體、言葉について書かうとするときに文法のことを持ち出すのは當然のことです。それがあたかも「惡いこと」といふ風に喧傳するのはどうか。それは誠實な態度と云へますか?理屈以外の、脅迫か強制かで説得しろといふのか。

いつだつて、正字正假名についての論爭は、それを嫌ふ人間の感情的非難から始まる。感情的な屁理屈で難癖つけられたら、論理的に對處するしかなからう。

愚癡

今日は怒り心頭なので感情的に書く。

正假名遣ひが讀めないとことある毎に騷ぐのは、あれはなんだよ。學校で習つた古典からどれだけ離れてゐるかね?私は讀む方の勉強不足を手助け氣はない。ましてや、中學レベルのことではないか。己の愚かさを書き手の責任にするな。

正字だつて同じこと。讀めない漢字があることを恥ぢないで、書き手の非にするのは何様のつもりだ。さういふ時の爲に漢和字典があるではないか。

そもそも正字正假名について深くも考へずに好き勝手な意見を出すが、さうした周り氛圍氣だけで物事を判斷してきた結果が、先の戰爭にも繋がつたではないか。

正字正假名は右傾化?いい加減にしろ。略字現代かな使つてゐても右傾化するし、戰爭も起こせるわ。少しは自分の頭を使つて考へろ。


12月24日(火曜日)

昨晩のこと

酒を呑みながら原稿。輕くつまむつもりだつたチヨコを一袋近く空けてしまふ。

起床は6:50。食べ過ぎたせゐか、胃が重い。しかし微妙な天氣だなあ。

いつも通りの電車に乘つたのに、接續が惡くて一本遲れてしまふ。うーむ。

午前

コーディング。いやあ、全然動かないのよ。

某社社食にて。少し胃がもたれてゐるなあ。風邪かしら?

午後

漸く動作確認完了。しかし、年内に終らせなくてはならない作業はまだまだあるのであつた。頑張らんとなあ。

今晩は早めの辭去。

でも、會社に戻らないといけないので意味なし。

會社

ftpdのインストールに手間取り、日付けが變る前に漸く歸宅。

味覺音癡

私は大の甘黨で、しかも大の辛黨です。激辛のメキスープで麥酒を呑むし、激甘の羊羹で泡盛を呑みます。酒は度數の強い奴でないといけません。スピリタスはロツクで呑みますが、あれは良いものですな。

このやうに味覺がをかしい私なのですが、實家の味付けは薄味だつたりするんですね。奇なり珍なり。


12月23日(月曜日)

ピンチ

今日は仕事の豫定を蹴つて原稿を書いてゐたんだけど、全然進まなかつた。まだ全體の1/4しかないよ。

日中

原稿の合間に洗濯。

これからのために買ひ出し。食料をわんさか買ふ。

夜中

つかぴんかが畫像データの送つてくれたので、文章以外は揃つたことになる。くー。


12月22日(日曜日)

昨晩のこと

原稿を書く氣力もなかつたので、さつさと寢る。

起床は10:30。やる氣なし。

文法

それは、文法を持ちだした方が論理的で誤解が少いからでせう。しゅがいさんだつて、音韻が話題になつた場合は專門用語を使はれてゐるのと同じことです。闇に非難を受けるやうなことでもないと思ひますけど。

午前

原稿書き。

午後

文章がぱたりと書けなくなつてしまつた。どうしよう。

秋葉原

氣晴らしに秋葉原へ。あかりちやんとめがやんと合流してぐるぐる。

武蔵小杉

いつもの壽司屋へ。榮養と氣力を充填。やるぞー。


12月21日(土曜日)

起床は9:30。會議のために9:00には會社に行かなければならなかつたのだが、遲刻確定。電話で報告してから仕度をする。

午前

會社到着後、會議。來期の見通しだとか經營方針だとか色々と話題に上る。經營資料として渡された書類の讀み方が判らないなあ。勉強しないと。

私のせゐで午前の部が遲れたので、遲めの晝食をファミレスでとる。

午後

賞與査定。部下の評價といふのは大變だわ。

夕方

忘年會へ行く社員を見送つて、サーバ設定の續き。

夜中

漸くルータ設定の完了。5Mbpsくらゐは出るから、これで文句は云はれまい。

それから歸宅して、つかぴんと打ち合はせしてから寢る。


[日記目次] [今月分(全体)] [今月分(上旬)] [今月分(中旬)] [今月分(下旬)]
江洲 信也 / Shinya Esu
最終更新日 : 2002年 12月 31日 火曜日 23時17分26秒 JST